風土工学デザイン研究所

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六稜トークリレー第172回(2019年5月11日)
「碑(いしぶみ)が語る淀川物語」

竹林征三さん@74期
(富士常葉大学名誉教授・工学博士/風土工学デザイン研究所理事長)

令和元年5月11日、六稜会館で行われた第172回六稜トークリレーで竹林征三が「石碑が語る淀川物語」を六稜同窓会事務局が製作した動画です。

>>> 六稜トークリレーのページ




基調講演
禹之瀬と禹王と信玄 ―禹之瀬開削三十周年―

富士常葉大学名誉教授
竹林 征三 氏
 京都大学大学院修了後建設省に入省。土木研究所・富士常葉大学教授を経て風土工学デザイン研究所長。新たな学問として風土工学と環境防災学の2学を構築しその普及啓発に努めてきている。優秀博士論文賞、科学技術庁官賞、建設大臣表彰、国土交通大臣表彰、日本水大賞他受賞多数、著書「風土工学序説」「環境防災学」「甲斐路と富士川」「物語日本の治水史」等多数

禹之瀬と禹王と信玄 
―禹之瀬開削三十周年―
 禹王や中国初代夏王朝は伝説の話であり、実在したのか不明であった。しかし考古学が夏の王都・二里頭遺蹟を発掘し、更に禹の黄河の治水についての科学的証拠が見つかってきた。
 太古、甲府盆地は大湖水で、出口は禹王の名をとって禹之瀬と呼ばれ、切り開いた神々の伝説が多く伝わっている。狭窄部の結果、甲府盆地は浸水常襲地帯で、禹之瀬の開削は人々にとって悲願であった。甲府盆地で三つの不可能な話があった。その筆頭であった。
 禹之瀬は多くの河川が集まり、天井川を形成し、立体交差と伏越が何か所も形成されている。治水の最難所である。その一つを解決したのが甲府代官・中井清太夫で、生神と崇められ禹王に比肩する功績として頌徳碑と生祠が建立されている。
 富士川の釜無川と支川御勅使川が合流する所は治水の難所で武田信玄による甲州流と称される巧妙な治水が行われている。この治水システムは中国四川省の都江堰の治水の智慧を取り入れている。
 禹之瀬に富士川舟運を開いた角倉了以の頌徳碑・富士水碑が建立されている。その功績は禹王に比肩されると記されている。又碑文には武田信玄に都江堰の治水を伝えた僧策彦周良の事が記されている。
 富士川の最下流は静岡県富士市で扇状地である。その治水の要のところに巧妙な治水施設「雁堤」が作られている。古郡孫太夫三代の治水である。
 都江堰の治水は禹王の治水を李冰・李二郎が作ったとして有名である。その智慧を策彦周良が信玄に伝え、更に加藤清正や伊奈流の治水等を古郡三代が組み合わせたのが「雁堤」である。
 富士川は現代に至って日本の治水思想の中で一段と輝いている安芸咬一博士の「川相論」や禹之瀬の開削の決断をされた廣瀬利雄博士のベルマウス理論や高橋裕博士の総合治水の思想を生み出した河川であり、禹王の治水系譜の壮大な歴史舞台の河川である。
 平成二十九年は日本の治水史に輝く禹之瀬の開削着工から三十年である。第六回「禹王サミット」が禹之瀬開削三十周年の記念に開催されることの意義は大きい。




 高橋 裕 「山野跋渉」 風土工学20年

『土木施工』2016.12月 Vol.57 No12  P146〜147

  去る2016年9月30日、東京神田の学士会館にて“風土工学20周年”を祝う催しが活気に満ちつつ盛大に実施された。竹林征三さんによって創設された風土工学は、幾多の難関を乗り越えて20年を経て見事に結実した。
 風土工学とは、竹林さんによれば、これまでの土木工学は、利便国家形成に向けての道づくり、鉄道づくり、港づくりに大きな成果をあげ、さらには自然災害に強い安全国土形成に向けて河川改修、砂防事業、海岸事業などに大きな成果を挙げてきたが、機能の最適化原理が主流となるあまり、土木事業の果たす、地域の風土文化形成機能が忘れ去られてしまっている。そのため、地域づくりに大きな役割を果たす土木施設が基準化、標準化されて、日本全国"金太郎飴"になって個性のない町や地域が形成されてきた。いまや、土木に関して地域の風土文化との接点が強く求められており、土木事業は自然環境との親和のみならず、土地域の誇りとなり、個性豊かな地域づくりに資することが求められている。換言すれば、土木事業の個性化を図り、個性的な地域づくりの一端を担う個性化原理の導入が必要である。感性を磨き、土木施設を建設するその地の歴史や風土文化をよく調べ、隠れている地域の個性やプライドを認識でき、地域の個性やプライドの悲痛な叫びに気付くことである。
 土木は大地を刻し、風土を改変する仕事である。土木事業を機に地域の誇りある個性の存在を認め、評価すれば、地域の個性はさらに磨かれ、地域は発展する。すなわち、市民がより豊かな文明や文化を享受できる地域づくりのため、社会に役立つのである。さらに自然環境との調和の美を追求するために環境工学があり、それらを包含する地域の風土との調和の美を迫求しようとするのが風土工学である、と竹林さんは力説する。
ところで、風土という深淵なコトバを、筆者は敗戦直後、旧制静岡高校時代、地学の望月勝海先生の講義で聴いた。それは和辻哲郎の“風土”の紹介の際であった。“風土”の意義と概要を解説した望月先生は、“君等には過ぎたる書であり、その価値は容易には理解できないであろう”と付け加えていた。
 竹林さんに、和辻風土が念頭に存ったことは確かであろう。和辻風土が多くの識者に与えた影響の拡がりと深さは測り知れない。たとえばフランスの地理学者であり哲学者でもあり、日仏会館フランス学長もされたオギュスタン・ベルクには、“空間の日本文化”“風土の日本”“風土としての地球”はじめ多数の“風土”に関する著作がある。
 竹林さんの富士常葉大学環境防災学部教授時代、大学のシンポにオギュスタンベノレクさんを呼び、その風土説を講義する機会があり、筆者も同席した。筆者はパリでもベルクさんと懇談したり、東京では拙著『国土の変貌と水害』に強い関心を持ち、本書に闘して討議したのも貴重な経験であった。
 ところで、土木工学への有意義な刺激となった“風土工学”は当初多くの人々に容易には理解できなかったようである。この20年の苦労は近著『風土工学への道一苦節20年・挫折の人生から生まれた起死回生の工学論』(2016年7月発行、風土 工学デザイン研究所、ツーワン・ライフ)に詳しい。
 新たな学問の創成には、無理解、場合によっては非難はつきものとはいえ、このように凡人の思い及ばぬ発想による新学問は、従来の学問とは方法論も異なり、竹林さんの熱意だけでは容易には浸透しなかったであろう。具体的には母校である京都大学の佐佐木綱先生の発想と強力な支援による点が大きかったという。京大での博士論文も苦心の題名『風土資産を活かしたてダム堰及び水源地のデザイン計画に関する研究』とし無事審査会を通過し、さらに佐佐木先生から風土工学の学会をつくるよう勧められ、まず歴史文化学会、その後、『風土工学』に関する多くの著作を発表した。多方面の著作はきわめて旺盛であり、風土誌・ガイドブック、絵地図など数十点、風土絵本物語、史劇、共著も入れるとダム、魚道など無数。
 一方、定期的に風土工学だより、講演、シンポジウム記録、さらにこの20周年記念出版も前述『風土工学への道』に続き数冊が逐次発行されている。 無類の実行力、迫力を伴わなければ、これだけの斬新にして新しい学問を20年間育て上げることはできなかったであろう。その助っ人、いやそれ以上に風土工学をサポートした貢献者として、4年前に世を去った白称“土木の応援団長”田村喜子風土工学デザイン研究所理事長を称えたい。彼女は不治の病に倒れた病床でも風土工学を気遣っていた。竹林さんの剛と、田村さんの柔が相和した総合力は抜群の効果を挙げていた。田村さんくらい各層の土木グループに親しまれた人物を筆者は知らない。毎年彼女の誕生日10月25日には土木学会に多くの有志が馳せ参じて彼火を慕っている。去る10月8日にも函館で北海道の田村ファンが集い偲ぶ会が聞かれた。その田村さんの後ろ盾によって風土工学はどれほどその戸望を高めたことか!
 さらに“風土工学の歌、その替え歌”など多数の詩歌、水五則、大地五則など十数種の五則の作成など枚挙にいとまがない。最も価値のある労作は、多くの講演のテーマにもなっている“日本の河川技術、四千年の系譜”であろう。その内容は多くの文献の引用はもちろん、単に史実を追う通史ではなく、中国の禹を中心とする治水史と日本の治水との深い関係、日本の治水は八岐大蛇伝説に関わる素戔鳴尊の治水から説き起こし、茨田堤、空海、行基らの治水史における重要性を指摘し、明治以後の治水では青山士による信濃川大河津分水の名記念碑の意義を、分水の波乱の歴史とともに位置づけている。
 最後に“風土工学の思い”と題する本人の詩の一節を紹介する。

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その地の過去が 作ってきた 風土
それだけの風土ではなく
未来への 夢が広がる 風土にしたい

      ー 中略 −

時空を超え
  一度しか 接し得ない 風土
自山なる形成に
  向かわせてくれる 風土なので
自他にとって
  存在の意義を 育む 風土にしたい
森羅万象 総てにとって
夢ある 明るい未来に 向けて
  かけがえの無い 風土なので
ただそれだけの 風土にだけは したくない

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 竹林式の猪突猛進に見える“風土工学”には夢がある。日本の長い治水の歴史に、風土工学が貴重な足跡を印することを願う。
 風土工学が、土木工学むしろ社会基盤に関する工学に、強力な刺激になり続けることを願ってやまない。



第17回日本水大賞審査部門特別賞のお知らせ

第17回日本水大賞審査部門特別賞を受賞することになりましたのでお知らせします。
受賞理由などについてはPDF(A4 6枚)をご覧下さい。

 


CNCP通信 Vol.13号

土木学会が中心となり土木関係のNPO組織の連絡組織が結成されております。その解放がCNCP通信です。CNCP通信のVol.13号 平成27年5月10日号で風土工学デザイン研究所の紹介をいたしました。

 


高橋裕先生が日本国際賞受賞

風土工学デザイン研究所の数名の設立発起人の一人で、顧問としてご指導を賜っています高橋裕先生が日本のノーベル賞と言われる『日本国際賞』を受賞されました。4月21日に東京大学で受賞の記念講演があります。

 
日刊建設工業新聞1月30日1面より
 
受賞記念講演詳細


2015年のお伊勢さんへの初詣

私の近畿地建当時の仲間の松村肇さんが毎年12月28日に大阪の玉造を立ち旧伊勢街道を徒歩で170キロ山越えで3泊4日で初詣に行っているという。そして1月1日の午前0時に初詣でを済ませ、伊勢湾の御来光を拝んで、岐路は近鉄で帰るという。風土工学を立ち上げ、全国各地で伊勢講の歴史に遭遇する。私も一度は徒歩で伊勢詣でをしたいとの思いはあるのですが、体力的に到底できそうにない。伊勢講は代参というのがある。そこで松村さんに私の分もお伊勢参りをしてきてほしいとお願いした。早速伊勢参りのご報告があったので。松村さんの道中記を紹介する。

  PDF(A4/23P)


「ゲニウス・ロキ」の思想・建築史家・鈴木博之氏の死を悼む

 鈴木博之先生が2月3日の死去された報に接し、深い悲しみに包まれています。
私は河川・ダム技術を研究していたもので、建築家とはお付き合いがほとんどなかった。たまたま、文化庁が近代土木遺産の研究会を企画された。そのメンバーに私も加えていただいた事が建築家との御付き合いの始まりである。座長は建築史の村松貞次郎先生であった。私が「風土工学の構築」で博士論文を書き、風土工学の初めての著作『風土工学序説』を書いたとき、その巻頭言を村松貞次郎先生にお願いしたところ、「正直申して、芸術だ、デザインだ、と昔から言ってきた建築の方が、機能一点張りの土木よりはるかに先行しているという優越感が、この風土工学荷よって覆されたという、残念な気がしないでもない。しかし、それは内輪のつまらぬ感情。土木や建築など、広い意味での風土や環境にかかわる仕事をしている人たちにとって、これはえらく勇気を鼓舞してくれる近来稀な学説だ、と喜びかつ確信して広く江湖に推薦する。」と非常に高く評価していただき感激した。風土工学の理論は土木と建築との区分けがないので、土木の人より建築の人の方が評価していただけるのだと思った。その村松先生がその後亡くなられて、また建築関係の方との縁が無くなってしまった。
そのような時に東京大学新聞(1998・4・21)に「東大教官が新入生に贈る本」という特集を組んでいた。その中に私の「風土工学序説」を表紙の写真入りで是非とも読むようにと紹介しておられる先生がいた。鈴木博之先生だった。そのようなことがあって是非とも鈴木博之先生のご指導を仰ぎたいと考え、 私の研究所で鈴木博之先生を囲む座談会を持った。その時、鈴木先生から「ゲニウス・ロキ」という概念を教えていただき感動した。ゲニウス・ロキとは場所の持っている可能性、あるいは場所の持っている可能性を見る力、あるいは引き出す力という。先生はそれを地霊(土地の精霊)と訳しておられた。これは私の風土工学の考えとピッタリ符合する。土木の世界に広めたいと考え土木の雑誌『土木施工』に「地域デザインを描く風土工学」特集号を2003年4月号に組んでいただき鈴木先生との座談会の内容を紹介した。それだけでなく、鈴木先生のお話を直接生で聞いてもらおうと考えシンポジウムを企画した。
第4回風土工学シンポジウムでテーマを「ものづくりと風土工学」とし、建築史の鈴木博之先生、感性工学創始者の長町三生先生、民族造形学の金子量重先生、橋梁工学の松村博先生と風土工学の私である。それに、土木技術者をテーマにした小説家・田村喜子先生の参加を得て2003年6月20日に中央大学駿河台記念館で行った。その時の鈴木先生の「風土と建築学」と題する講演録は「風土工学だより」第9号(ページ37〜45)に残されている。
風土工学にとって大変なバックボーンとなる「ゲニウス・ロキ」の思想・鈴木博之先生を亡くしたことの大きさを改めて感じ、悲しみに暮れています。
村松貞次郎先生・鈴木博之先生、安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈りします。 合掌。2月  竹林征三

[補遺]風土工学では民話・伝説・小さき地名等々を"風土の宝"(風土資産)と称し、それらの認識の連鎖構造をアンケートにより分析することが出来、それからデザインコンセプト"風土の心"を導き、デザイン展開して行こうというものです。"風土の心"は鈴木博之先生の"地霊"と全く同じ概念であろうと思慮しています。



船井幸雄先生の遺徳に感謝

 船井幸雄先生が1月19日に死去された事が新聞で報じられ、深い悲しみに包まれています。
船井幸雄先生は船井総研という経営コンサルタントを創設される、一方400冊以上の多くの人生哲学等の書を出され実に多くの読者層を作られた智の巨人というべき方です。
私が船井先生と御付き合いさせていただく端緒は、同期の青山俊樹さんが東北地建の局長されていた当時1997年ごろに、東北地建の大会議室で船井幸雄先生と私の二人を講師とする講演会を開催していただいた。その時以降、いろいろな局面で暖かい親身なご指導をいただいてきました。船井先生は柔和な優しい面立ちで相談に乗っていただける知恵の権現の好々爺という感じの方でした。説かれることはプラス思考の性善説の数々の人生哲学で、多くの読者層がおられ、大型書店では船井幸雄コーナーまで作られていた。船井幸雄先生の発信する情報を読みたいという方を対象に"ザ・フナイ"というタイトルの月刊誌を創刊された。
船井幸雄先生は私の風土工学等には、事あるごとにPR等支援の場を作ってくださいました。
"ザ・フナイ"の1997年10月号第31号で「生き方の座標軸――共生社会の先駆者たち――」という特集号を組まれて9人の先駆者のひとりに私を取り上げていただいた。
また、"ザ・フナイ"の2009年5月号では「良い環境づくりに努力する人々」と題する特集を組まれ、5人の中の一人として私を取り上げていただいた。
また、私の「東洋の知恵の環境学」の原稿を読まれて、これはベストセラーになる要素・知恵の書である、是非ともビジネス社から出版するようにと紹介していただいた。
また船井幸雄先生のホームページで「船井幸雄の今一番知らせたいこと」として「日本人はどうして富士が好きなのか」(2006年11月21日)に「私の知人で、大学教授の竹林征三さんは、土木工学の権威です。「ダムの神様」とも言われていますが、京大の後輩にもなる人で、親しく付き合っています。彼が最近、近著を送ってきました。『風土工学の視座』(技報堂出版刊)です。その21ページと22ページに「富士学の思い」という文がありました。工学博士の彼らしい文章です。私の家内は、こんなむずかしい本は読みそうにありませんが、このホームページの私の文は読んでくれています。ワイフに読ませたいだけでなく、日本人の富士好きの人に読んでほしく、少し長いのですが紹介します。」という形で私の富士山論を詳細に紹介してくださいました。
2011年9月6日に「日日是好日」〜熱海だより〜に「自然災害の多い日本」と題して「さて『環境防災学』という言葉を御存知でしょうか。「環境」と「防災」、それぞれ独立したもののように思える言葉ですが、この二つの分野を一つの体系として考えることの大切さを提唱されている方がいます。竹林征三という方です。」と私の『環境防災学論』を高く評価していただいた。私にとっては掛け替えのないアドバイザーであり、応援団長の一人であった。
ご冥福をお祈りします。 合掌。2月12日  竹林征三



谷川健一先生の御逝去を悼む

 当風土工学デザイン研究所の設立発起人であり、設立以来当研究所の理事兼顧問として御指導いただいてきた、民俗学者・文化功労者の谷川健一先生が平成25年8月24日御逝去されました。享年92才。
 東大文学部卒。柳田国男、折口信夫の影響を受けながら、精力的な現地調査を踏まえた民俗学研究を独学で続けた。
 歴史の負の情念に着目し、霊魂や死生をめぐる観念の解明を軸に、独自の視点から著作活動を展開した。
 ここに生前のご厚誼に感謝申し上げ謹んで御報告申し上げます。



古今防災シンポジウム

平成25年2月24日(日)、朝霞市の「朝霞市リサイクルプラザ」にて「古今防災シンポジウム」が開催されます。竹林征三理事長が「環境防災とは」―自然・環境・防災・風土を考えるーと題して講演いたします。

 


風土千年・復興論

平成25年2月に、竹林征三著の待望の新刊「風土千年・復興論─天変地異・災害の世紀 ─誇り高い千年先の風土をつくる─」がツーワンライフ出版より刊行されます。
・なぜ日本列島に天変地異・災害が頻発するのか?!
・東日本大震災から復興するために何をすべきか!
・機能一辺倒の土木技術から風土を活かした地域づくりの時代へ
・風土工学の視座は、日本文明の真の復興への道を示す。お求めの方はこちらから

 


静岡防災フォーラム

平成24年11月22日(木)、静岡市の「アイセル21」にて防災フォーラムが開催されます。竹林征三理事長が「災害の世紀 〜風土が語る災害の宿命〜」と題して講演いたします。

 


防災に関する講演会

平成24年11月20日(火)、九州地方整備局にて防災に関する講演会が開催されます。竹林征三理事長が「風土千年・震災復興論〜巨大災害の世紀・風土が語る災害の宿命を考える〜」と題して講演いたします。

 


「歴史に学ぶ防災、風土からみる災害の足跡」講演会

平成24年11月8日(木)、公益社団法人 國民會舘 武藤記念ホールにて「歴史に学ぶ防災、風土からみる災害の足跡」というテーマで講演会が開催されます。竹林征三理事長が「大和川の水害の歴史」と題して講演いたします。

 


平成24年度 第3回RIC講演会
「災害の世紀・防災を考える」

平成24年9月25日(火)、KKR札幌にて「災害の世紀・防災を考える」というテーマで平成24年度第3回RIC講演会が開催されます。竹林征三理事長が「風土千年・震災復興論」と題して講演いたします。

 


長町三生先生 瑞宝中綬章受章

 風土工学の双子の兄の感性工学の生みの親である長町三生先生が平成24年の春、瑞宝中綬章を受章された。
 その記念祝賀会が平成24年7月16日(日)呉阪急ホテル4Fの皇城の間で行なわれた。
 風土工学デザイン研究所から竹林征三理事長が出席し、祝辞を述べさせていただいた。
 祝辞については「風土工学研究」No.55号に記載いたしました。



田村喜子先生の御逝去を悼む

【訃 報】
 当風土工学デザイン研究所の前理事長田村喜子先生病気療養中の処、3月24日享年79歳にて永眠いたしました。3月30日に麻布の善福寺において多くの参列者のもとに告別式が執り行われました。高橋裕先生が代表して弔辞を述べられ、最後は田村喜子作詞の「カムイ岬」の歌を作曲された作曲家福沢恵介氏のギターで唄われ、多くの参列者の目元が潤む中、お別れを致してまいりました。
 ここに生前のご厚誼に感謝申し上げ謹んでご報告申し上げます。

【追悼の辞】
 報当風土工学デザイン研究所の前理事長田村喜子先生病気療養中の処、3月24日享年79歳にて永眠いたしました。
 3月30日に麻布の善福寺において多くの参列者のもとに告別式が執り行われました。
 高橋裕先生が代表して弔辞を述べられ、最後は田村喜子作詞の「カムイ岬」の歌を作曲された作曲家福沢恵介氏のギターで唄われ、多くの参列者の目元が潤む中、お別れを致してまいりました。
 ここに生前のご厚誼に感謝申し上げ謹んでご報告申し上げます。
 追悼の辞 風土工学デザイン研究所・前理事長田村喜子先生のご逝去を悼み、生前の当研究所の発展に尽くされたご功績に対し、改めて深甚の御礼を申し上げます。
 田村喜子先生は創設間もない平成12年(2001)6月から平成23年(2011)9月まで11年余の長きにわたり理事長を引き受けていただき、高所から、我々・会員および所員を御指導いただきました。
 当研究所は設立したとは言え、何もないゼロの状態からのスタートでした。
 その組織が北海道から沖縄まで全国各地からの要請にこたえて、その地の風土を活かした、誇りうる地域づくりに何らかの貢献させていただいたのも「私は土木技術者の応援団長よ」と「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズで、「無駄な土木」という世の風潮で落ち込んでいる土木技術者を励ましていただいた田村喜子先生の温かい人柄・御人徳のお陰であると深く感謝申し上げます。
 田村喜子先生が当研究所に注いでいただいた温かい遺徳を忘れることなく胸に抱き、今後とも社会に貢献してまいりたいと存じます。
 田村喜子先生本当に有難うございました。
         風土工学デザイン研究所理事長   竹林征三




ラジオ日本「元気出せ!ニッポン」に竹林教授が出演!

 竹林征三教授が、「ラジオ日本」他で好評放送中のラジオ番組「元気出せ!ニッポン」に出演しました。
 本番組は、日本を元気にするパワーと志を持ったエネルギーあふれる人々を招き、日本の明るい未来について語り合う情報番組です。
 6月8日(水)に都内のスタジオで収録を行い、ベテランパーソナリティの乾龍介さんを相手に、日本列島の九難の宿命、河川災害の宿命と5つの気候異変、ダムと水資源、スマトラ大津波とモルディブの被害等、今の日本が直面している問題の実相を鋭く語っております。

 【番組放送日】
●番組名「元気出せ!ニッポン」
●テーマ 第77回「ダムは本当に不要か?」
 ゲスト:竹林 征三(富士常葉大学名誉教授)
 聞き手:乾 龍介
●放送日
 〔7月19日(火)〕
 ・ラジオ日本 夜24:30〜25:00
 〔7月23日(土)〕
 ・山梨放送 夜22:30〜23:00
 ・高知放送 朝07:00〜07:30
 ・青森放送 朝08:15〜08:45
 〔7月24日(日)〕
 ・ラジオ大阪 朝07:30〜08:00
 ・東海ラジオ 朝06:10〜06:40
 ・山口放送 夜23:00〜23:30
 ・ラジオ福島 朝07:30〜08:00
 ・西日本放送 朝08:30〜09:00
 ・ラジオ沖縄 夜23:00〜23:30
※番組の詳しい情報は、番組ホームページ(元気出せ!日本ホームページ http://www.radio-genkidase.jp/)をご覧下さい。




感性工学の生みの親
長町三生先生
平成20年度科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞(科学技術振興部門)受賞(2008/4)
 広島大学名誉教授の長町三生先生が、2008年4月15日虎ノ門パストラルにて、平成20年度科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞(科学技術振興部門)を受賞しました。科学技術賞とは文部科学省が科学技術分野において顕著な功績をあげた人物を対象にその成果を讃えるものです。
 長町先生は、世界でさきがけて感性工学を樹立された感性工学の真の生みの親であります。長町先生の感性工学がなければ風土工学は誕生しませんでした。長町先生は風土工学デザイン研究所の設立発起人・顧問理事として、心あたたかきご指導をたまわってきている。
 
 
風土工学デザイン研究所の設立発起人・顧問
金子量重(かずしげ)先生
2007年韓国王冠文化勲章受章(2008/1)
 NPO法人風土工学デザイン研究所の設立発起人であり、理事、顧問の先生の一人、アジア民俗造形学会会長・アジア民俗造形文化研究所所長の金子量重先生が、2007年10月18日韓国国立国楽院の芸楽堂において、韓国の国民勲章である文化勲章王冠章を授与されました。
 日本の比較文化研究者であられる金子先生は、過去40年にわたりアジア各国の考古や造形に関する資料を収集、調査、研究し、多くの写真を撮影してこられました。そのコレクションの中から、「ミャンマーの仏具」をはじめとした1035点の文化財を、2002年から2005年にかけて4度にわたり韓国国立中央博物館に寄贈されてきました。また2007年は写真資料10,000余点を寄贈され、国立中央博物館では、寄贈館に金子量重寄贈室を開設し、アジア各国の多様な造形文化を観覧できるよう貴重な資料を常設展示しています。
 これまでに21名の寄贈者が勲章を授与されていますが、日本人としては1987年に受章された故・井内功先生に次いで二人目の受章となります。

 栄ある受章を心よりお祝い申し上げますとともに、ますますのご活躍をお祈り申し上げます。

2007年文化功労賞受賞・瑞宝章受章(2007/11)
 NPO法人風土工学デザイン研究所の設立発起人(14名)のうち、京都大学名誉教授の沢田敏男先生が2005年に文化勲章を受章されました。
 今年11月5日には、民俗学の谷川健一先生が2007年度秋の文化功労賞を受賞されました。
 また、東京大学名誉教授の高橋裕先生が2007年度秋の瑞宝中綬章を受章されました。

 栄ある受賞を心よりお祝い申し上げますとともに、先生方のますますのご活躍をお祈り申し上げます。

 
  ダム工学会2010年学会賞著作賞を受賞(2011/5)

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