歓喜の星かがやく小丸川の郷 
             
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            偉業を成し遂げ 歓喜に満ちた小丸川の郷 
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            ■小丸川難攻不落の二城 
             
            ◇山田新介有信がたった1500人の兵で、豊臣氏率いる20万の軍の攻撃から守り抜いた 
  難攻不落の高城(木城・高鍋風土資産絵図B-1)  
            ◇攻撃した島津軍は死傷者を五百余人も出して退散 難攻不落の石城(風土資産絵図C-3) 
             
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            ■水路功績記念四碑 
             
◇長年の苦難の歴史のため「絶望の井手」とまでいわれた用水路の完成を記念する 
 広谷用水路通水記念碑(木城・高鍋風土資産絵図B-2) 
◇絶望の井手を完成へと導いた山口弘康の功績を称える  
 山口弘康翁水路功績碑(木城・高鍋風土資産絵図B-2) 
◇高鍋町内を潤す大動脈勘右衛門水路(太平寺水路)の完成を記念する 
 長友勘右衛門の水路記念碑(舞鶴公園) 
◇60年間も水路の整備に尽力した功績を称える 
             本田親灌漑功績記念碑(高鍋中心地風土資産絵図) 
             
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            ■先人達の努力の結晶大地を潤す二十八溜池堤 
             
檜谷上、檜谷中、檜谷下、蛸ノ口上、蛸ノ口下、湯牟田、角谷上、角谷下、加志揚、 
老瀬、中原、耳切上、耳切下、長法寺、牛牧、坪草上、坪草下、谷坂上、谷坂中、 
谷坂下、重間上、重間下、雲雀山(古池)、雲雀山(新池)、肥後牧、日置牧上、 
            日置牧下、大戸の口新堤 
             
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            ■先人の努力の結晶大地を潤す十二水路 
             
            
              
                
                  太平寺用水路 
                  (勘右衛門用水路): | 
                   勘右衛門は、比木神社に百箇日の祈願を始めて、満願の暁に太平寺川上を水源地とすることをはじめ、通水の順路に至るまで手に取るように大明神のお告げをうけたまわった。実地について踏査してみると一々符節を合わせるかのようで難工事が精巧に導かれたと言われている。 | 
                 
              
             
            
              
                
                  | 広谷用水路: | 
                  小丸川からの取水に何度も失敗した広谷用水路は「絶望の井出」と言われていたが、長年の苦難にも屈することなく挑んだ結果、とうとう山口弘康が中心となって広谷用水路を完成させた。人々を困らせた暴れ川小丸川の水は、里を潤す恵みの水となった。 
                   
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            ■歓喜満ちた小丸川の郷をつくりし四賢人 
             
            
              
                
                  | ◇長友勘右衛門: | 
                  約390年前比木大明神のお告げを受け大工事の末太平寺用水路を創設した。中鶴揚水も手がけたといわれている。 | 
                 
              
             
            ◇山口弘康       :「絶望の井手」と諦められていた広谷用水路を開通させた。 
◇本田親          :60年の長きに渡り数々の灌漑事業を行った。 
            
              
                
                  | ◇河内山清八 : | 
                   貯水池築構の開祖と呼ばれ高鍋藩の土木事業に貢献した。最初の谷坂堤では、主水路を低いところに通じ、支水路を高いところに通じて支水路の余水をまた主水路に注ぐよう設計したり、主水路のところどころに膨らんだ箇所をつくり、馬や草野洗い場として利用することや鎌研ぎように橋は串間の砂岩を用いたりと創意豊かであった。 
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            歴史の遺産に出会う喜び 小丸川の郷 
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            ■地名が伝える過去からのメッセージ 
             
            ◇児湯(郡)〔こゆ〕:「子湯」「古由」「古臾」と読まれ、国府を含む日向の中心であった。峠地にのぞんだ地「越ゆ」の意や昔「火明ノ尊(ほあかりのみこと)」が生まれたとき産湯を使ったことに由来すると言われている。 
             
            ◇木城(町)〔きじょう〕:明治22年に、高城町、高城村、川原町、石河内町、椎木村が合併して木城村が成立。椎木の木と高城の城を持って名付けた。読み方は訓+音の湯桶読みである。 
             
            ◇高鍋(町)〔たかなべ〕:江戸時代以前は財部(たからべ)と称した。豊臣秀吉が秋月種長に送った朱印状に高鍋と書かれていたのに基づいて寛文九年種信が財部城改築の際改めた。 
             
            ◇尾鈴(山)〔おすず〕:尾根筋に自生する篠竹を「スズ」と称し、山名になったと言われている。また尾鈴の山神が乗った白馬の首についていた黄金の鈴に由来しているともいわれている。 
             
            ◇小丸(川)〔おまる〕:高鍋町の小字小丸(こまる)が、川名全体をあらわすようになったといわれている。小丸(おまる)は、川が小回りである様子に由来している。 
             
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            ■秋月氏四史跡・二碑 
             ◇高鍋(舞鶴)城趾(高鍋中心地風土資産絵図) 
◇明治24年三好退蔵氏の住宅を移して建てられた秋月種樹公の住家  萬歳亭(舞鶴公園) 
◇旧高鍋藩明倫堂の書庫を移転復元、明倫堂の図書1万6千冊を収納している 
                                                                   明倫堂書庫(木城・高鍋風土資産絵図C-3) 
◇秋月墓地(木城・高鍋風土資産絵図C-3) 
◇「教育は国家を治める上で最も大切な事業である」と考えた高鍋藩主秋月種茂が開いた明倫堂  
                                      明倫堂址の碑(高鍋中心地風土資産絵図) 
            ◇明倫堂記碑(木城・高鍋風土資産絵図D-3) 
             
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            ■小丸川の郷 三古墳一古墳群 
             
◇前方後円墳10基・円墳75基 持田古墳群(木城・高鍋風土資産絵図D-2) 
◇蚊口浦に点在する5基の円墳 高鍋古墳(木城・高鍋風土資産絵図D-3) 
            ◇木城町城山公園にあり、6世紀後半につくられた円墳で横穴式の石室をもつ永山古墳(木城・高鍋風土資産絵図B-1) 
            ◇木城村(山塚原)古墳 
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            ■小丸川の郷 信仰の源比木大明神の御幣下二十八社 
             
            御城権現(城内)、御城辰宮大明神(城内)、宮田大明神(宮田)、川上大明神(大平寺村)、権現(順礼堂)、天神(菖蒲池)、裳廣解大明神(裳廣毛)、権現(中鶴村)、川田権現(川田)、鵜戸権現(蚊口浦)、天神(蚊口浦)、権現(雲雀山)、権現(長谷)、木宮大明神(日置村)、大年大明神(鴨野村)、大宮大明神(鴨野村)、歳神大明神(切原村)、国玉大明神(高城村)、城中辰宮大明神(また水分神社)、彦権現(また水分神社)、白髪大明神(また水分神社)、石大明神(石河内)、権現(石河内)、天神(福原尾村)、天神(爪生村)、天神(藤見村)、天神(心見村)、八幡(高城藪) 
             
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            ■旧高鍋藩神楽奉納六郷社 
             
            比木神社(ひき)、白髪神社(しらが)、平田神社(ひらた)(川南)、八坂神社(やさか)、愛宕神社(あたご)(高鍋)、三納代八幡神社 
             
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            自然を体感できる喜び溢れる 小丸川の郷 
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            ■小丸川の郷 自然に触れる五地 
             
            ◇白木八重牧場(風土資産絵図C-4) 
            ◇木城町の小丸川河畔、尾鈴山県立自然公園に指定された豊かな自然環境の中で、キャンプ、カヌー遊びやフィッシングなどを満喫できるレジャーポイント     川原自然公園(木城・高鍋風土資産絵図A-1) 
            ◇宮崎県内で唯一生息が確認されているヨツボシトンボ、環境庁が絶滅危惧種に指定しているベッコウトンボなど約40種のトンボなどが生息 
                4枚の羽に1個ずつ黒点を有する(ヨツボシトンボ) 
                伊勢とここしかみられないヘビノボウズ、九州唯一のミズキボウシ、九州南部固有のツクシアブラカヤやサギソウなど貴重    な植物もみられる。      高鍋湿原(木城・高鍋風土資産絵図B-3) 
            ◇植物の種類、密度については西日本で一番の規模  
                面積21,811u、総数78科、285種。内湿生、水生植物35科、111種 
                ナガバノイシモチソウ、ヒメコヌカグサ等稀少種。       川南湿原(小丸川流域風土資産絵図C-4) 
            ◇昭和8年宮崎県の天然記念物に指定されたオニバスが浮かぶ    岩渕大池(木城・高鍋風土資産絵図B-2) 
             
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            | ■小丸川の郷 自然からの恵みをうる喜び四湯 | 
          
          
            ◇高鍋温泉 めいりんの湯 
◇木城温泉 木城温泉館湯らら 
◇南郷温泉 山霧 
◇川南温泉 | 
              
            めいりんの湯 | 
              
            木城温泉湯らら |