■百済王漂着伝説三連祭 
       
                        ◇師走祭り:日本では大変珍しい古式な「袋神」を奉した比木神社(福智王を祀る)の一行が道中で百済王伝説に因む祭典を行いながら福智王の父禎嘉王を祀る神門神社(南郷村)に向かい、その後帰還する祭り。父と子対面のまつり  
       
                        ◇大年下り:福智王(比木さん)が各所を巡遊し、母神之伎野(しぎの)を祀る大年神社(高鍋町)を年1回訪問するご神幸。母と子対面のまつり  
       
                        ◇お里廻り:20箇所程の神幸先には福智王ゆかりの地や高鍋場も含まれ、福智王が漂着し難渋した時丁寧に迎えもてなされた御礼参りとも伝えられる   
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      ■百済王一家ゆかりの二所十社 
       
      ◇百済福智王をまつる神社。百済王伝説ゆかりの三連祭の出発地  比木神社(木城・高鍋風土資産絵図B-2) 
       
      ◇百済禎嘉王(福智王の父)と禎嘉王の第三子伯智王を祀る  神門神社(南郷村) 
       
      ◇百済禎嘉王妃之伎野(福智王の母)を祀る  大年神社(木城・高鍋風土資産絵図D-2) 
       
      ◇百済禎嘉王第二子華智王を祀る  伊佐賀神社(東郷町) 
       
      ◇禎嘉王が壺に入れた子を置いていったと伝えられる  山陰神社(東郷町) 
       
      ◇福智王の姉(または妃)を祀るともいわれる  宮田神社(木城・高鍋風土資産絵図C-3) 
       
      ◇木城町比木神社の境内にあり福智王の子を祀る  若御子神社(百済負王漂着伝説マップ・木城町) 
       
      ◇ 百済王が裳(帆)を広げた場所に建てられたといわれ、百済福智王を祀る 
                                                       茂比呂計神社(木城・高鍋風土資産絵図C-3) 
                        ◇比木神社境内にあり,福智王の臣を祀る  一の宮神社(百済負王漂着伝説マップ・木城町) 
       
      ◇比木神社境内にあり福智王の乳母だったという紅梅を祀る  紅梅殿(百済負王漂着伝説マップ・木城町) 
       
      ◇福智王が蚊口浦に漂着して比木に向かう途中その子供が亡くなった場所といわれ、大年下りの際、この場所を通る時は子供がついてこないように笛や太鼓の音を止める  宿の坂(百済負王漂着伝説マップ・高鍋町) 
       
      ◇禎嘉王の重臣が歯痛激しくたまりかね遂には亡くなった。  爪楊枝が歯のお守りのはがみ神社 
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      ■百済王伝説ゆかりの一山・一木 
       
      ◇神聖視された山で師走祭りの時は必ず遙拝することになっている  清水岳(原名山神・百済負王漂着伝説マップ・南郷村) 
       
            ◇百済王が投げた杖が根付いたといわれる   比木神社のチシャノキ(木城・高鍋風土資産絵図B-2) 
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      ■百済王伝説ゆかりの八地名 
       
      ◇百済王が水に濡れた裳(帆)を広げて乾かしたところといわれる 茂広毛(もひろげ  高鍋町) 
       
      ◇百済王が水に濡れた鞍を掛けて乾かしたところといわれる 鞍掛(くらかけ
       高鍋町) 
       
      ◇百済禎嘉王妃、之伎野(しぎの)に由来するといわれる 鴫野(しぎの 高鍋町) 
       
      ◇百済王が矢を放った所で、「やさか」が「はさか」になったといわれる 羽坂(はさか 東郷町) 
       
      ◇禎嘉王一行の中に赤ちゃんが誕生したところといわれる 児洗(こあらい 東郷町) 
       
      ◇禎嘉王が最も信頼した重臣が歯痛のために死去した場所といわれる 歯噛(はがみ 東郷町) 
       
      ◇産湯を使ったところといわれる 産野(うぶの 東郷町)  
       
      ◇「おろし児」は禎嘉王の王子が生まれたところといわれる 卸児(おろしご 東郷町) 
       
      ◇古代朝鮮語で村長を意味する「村主(すぐり)」に由来するともいわれる 勝利(すぐり 高鍋町) 
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      ■百済王伝説を伝える二宝 
       
      ◇禎嘉王が百済から持ってきた二つの壺のうちの一つといわれる  神門神社の須恵器の甕 
       
            ◇矢野家に代々伝わる 禎嘉王の杖 
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      ■百済王伝説ゆかりの四墓 
       
      ◇比木神社の墓地内にあり、百済福智王の墓と伝えられる  
                          比木神社墓地内五輪塔(木城・高鍋風土資産絵図B-2) 
                        ◇百済禎嘉王妃之伎野を祀る大年神社近くにあり、之伎野の墓と伝えられる 
                                              宮ヶ谷の五輪塔(木城・高鍋風土資産絵図D-2) 
                        ◇百済禎嘉王の墓と伝えられ、師走祭りの祭事が行われる  塚の原古墳(百済負王漂着伝説マップ・南郷村) 
       
      ◇百済王地方豪族どん太郎の墓と伝えられる  どん太郎塚古墳(師走祭り神門神社周辺行事マップ) 
                         
      ■百済王伝説ゆかりの二家 
       
      ◇福智王が世話になり、お里廻りの際は必ず立ち寄り礼を尽くすという。隣家の谷口家のお茶をもてなされる。 
                                                             永友家(高鍋町) 
                        ◇建築中の家の2階から祭を見たところその家が火事になり,神様を見下ろした罰が当たったのだと言われ、次の年から大年下りの時この家に毎年必ず立ち寄るようになったといわれる    佐川家(高鍋町) 
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      ■百済王伝説ゆかりの二石塚 
       
      ◇師走祭の際小丸川の河原で二個の石を拾い、白紙に包み左肩にかついで石塚に置くという祭儀がある 
                                神門神社参道のそばの石塚(師走祭り神門神社周辺行事マップ) 
                        ◇大年下りの際、祭の行列は海辺から二個の浜石を拾って左肩にかついで石塚におく習わしがある 
                                           大年神社の石塚(木城・高鍋風土資産絵図D-2) 
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      ■百済王伝説を伝える三施設 
       
      ◇百済王族の遺品といわれる三十三面の銅鏡等を展示しており、博物館の建物は奈良の正倉院を再建 
                                                     西の正倉院(小丸川流域風土資産絵図A-2) 
      ◇韓国の古都プヨの名所落花岩に建つ「百花亭」を再現した  恋人の丘(小丸川流域風土資産絵図A-2)
      ◇韓国の古都プヨの王宮跡(現国立博物館)に建つ客舎を忠実に再現した物産館と 歴史資料館  
                                             百済の館(小丸川流域風土資産絵図A-2) 
       
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